2014年12月14日日曜日

日本で二大政党制政治が続かない理由

アメリカやイギリスなどでは、2大政党制政治が続いています。ところが日本では、次回の衆議院選挙において自民圧勝を予測する人が多いことから、一時を除き、自民党による一党独裁が続きそうです。なぜ日本では二大政党が根付かないのでしょうか?

日本が単一民族で構成されているからと考える人もいます。日本が島国だからと言う人もいます。しかし私は、多くの日本人が深層心理において中国人同様に一党独裁による統治を求めるからと考えています。

アングロサクソン系は、「個人の自由」を求めることから、自分たちの「選択する権利」をとても重視します。そのため、政策の基本方針や行政のトップの決定に関与する意識がとても強いようです。だからこそ、選挙を通じて自分達の意見を代弁する党を選択します。行政に強い権力を与えることを極端に嫌い、役人の権力を規制する法をも制定します。欧米では、そういった思想の中で、より個人の権利を優先する自由主義勢力とより集団的な利益を優先する社会民主主義勢力がバランスし、二大政党を構成しているのです。

一方で日本人の多くは、徳のある頭の良い人が行政を運営することで、自分達や国が繁栄できると考えています。官僚のことを利用すべき対象ではなく優秀な人として従うべき相手と見る向きは、正にそのような徳による統治への信仰を代弁しています。この考え方はおそらく古来において中国から来た考え方です。つまり日本の国民の心の深層には、欧米のような民主主義ではなく、むしろ中国に近い統治への願望が強く残っているのだと思います。中国はご存知の通り一党独裁です。つまり、多くの日本人は、深層心理において中国人同様に一党独裁を暗黙のうちに求めているのだと思います。

参考 『中国化する日本』 與那覇潤 愛知県立大学准教授 2012.7.13
https://www.youtube.com/watch?v=lT-ri3PxvCo

(おしまい)

2014年11月3日月曜日

エボラ出血熱への対応から見えてくる、人権意識の問題 〜欧米と日本の違い〜

 エボラ出血熱に関し、欧米と日本の行政のホームページを見比べると、欧米と日本の間にある人権に対する考え方の違いを見て取れます。
 欧米諸国においてエボラ出血熱に感染した人は、これまでみな医療従事者です。今、日本を含む先進国において、感染リスクの最も高い集団は医療従事者です。医療従事者への感染をいかに防ぐかが、今回のポイントと言えます。医療従事者の「人権」を守るためにも、大至急、医療従事者一人一人に対して、何に注意しどう対処すれば良いのか、情報の提供と対処の案内をすることが必要です。
 アメリカのCDCやイギリスのHPAを見ると、医療従事者向けのきめ細かいガイダンスが次々と出ています。手袋を二重にするとか、患者対応や脱衣手順など、看護婦や医師一人一人が何をしなければいけないか、様々な情報が提示されています。 素人の私でさえ分かる図入りでも案内もしています。医療従事者を守ろうとする行政の気迫を感じます。
 一方、我が日本の厚労省のサイトを見ると、報告や患者の搬送および隔離に関する指示はあるものの、欧米に見られるような医療従事者個人への案内などが全くありません。そのため、日本の医療従事者は、何に注意したら良いのか、欧米の政府機関などから独学で勉強しなけばならない状況です。政府は、国民への感染を警戒しているものの、医療従事者一人一人を守る意識が抜け落ちていると言えます。現状は、太平洋戦争において兵士に死を強要した状況と同じです。
 エボラ出血熱に対する政府の対応を見ていると、日本の行政は米英に比べると「対応がのろま」、と言わざるをえません。さらに付け加えるならば、「日本の行政は人権に対する意識が戦前同様未だに希薄」と言えそうです。日本の議員も役人も国民も、もっと意識を高めるべきです。

2014年10月18日土曜日

分かりやすい表現・文書のコツ 〜日本語と英語の表現の違い〜

 私達は、曖昧な主語のおかしな文をついつい書いてしまいがちです。しかし、ちょっと考えるだけで修正することができます。

 私達は、例えば「エボラ出血熱の感染を防ぐことができる」と言います。この場合、主語はありませんが、主体は筆者など「人」であり暗黙の主語と一致していることから、読み手が主語を容易に想像でき、文は分かりやすいと言えます。

 ところが「エボラ出血熱の感染」をテーマとしたい場合、日本語の文法の曖昧さが顕著になります。例えば、「エボラ出血熱の感染は防ぐことができる」と言うこともできます。この場合、普通の人に意図は通じるものの、「感染が何かを防ぐ」のか「何かが感染を防ぐ」のか、文意を厳密に定義していません。その原因は、文の主語は「感染」であるものの、主体が明示されていないためです。英語で主語を人と分けて表現する場合、「エボラ出血熱の感染は防がれることもできる」と受身に変形させることで、テーマとして主語を「感染」としつつ、主体が人などであることを明示し、日本語のような曖昧さを排除します。このように考えると、日本語でも「エボラ出血熱の感染については(医師会など主体が)防ぐことができる」と表現することで曖昧さを廃除できることが分かります。

 私達は、日本語の文法がとても曖昧であることから主語の不明瞭な文を書いてしまいがちです。その原因は、テーマを意識するあまり、主体」を忘れてしまうことにあります。主体」を強く意識することで、主語も明らかになり明瞭な表現が可能になります。私は、改めて英語を勉強したことにより、分かりやすい日本語表現を意識するよう変わりました。(おしまい)

2014年6月18日水曜日

なぜ日本人はアメリカ人から高く評価されていると感じるのか 〜グローバルな経済活動に必要な対人スキル〜

日米同盟が強固なことから、日本がアメリカから高い評価を得ていると感じている方は多いと思います。
なぜ日本人は特にアメリカ人から高く評価されていると感じるのでしょうか?
その理由を多くの日本人は、日米同盟や政治的・経済的な価値観の共有にあると考えているようです。しかし実は、もっと単純なところにもあるようです。

他人へのアドバイスの仕方は、習慣の違いから出身国によって違いがあります。悪い点を本人に伝える際、ドイツ人は、無駄を避けることから公の場であれ単刀直入に伝えます。一方、中国人は、メンツを重んじることから本人の名誉に配慮し隠れた場で伝えます。厄介なのは米国人で、美点凝視を良しとする考えから前向きな言葉に包んで伝えます。アメリカ人が後ろ向きな表現を面と向かって言うことは滅多にありません。
(引用  Erin Meyer http://erinmeyer.com

ところが日本人は、そういった国による習慣の違いを知らず外国人のことをみな単刀直入と思い込んいるため、米国人に前向きな言葉で嫌味を言われても自分が評価されていると感じてしまいます。

私達日本人は、おめでたいため高く評価されていると勘違いしやすいのです。
(おしまい)

グローバルな経済活動に必要な対人スキルとは何か

2014年4月27日日曜日

英語の発音が良くなるこつ 〜母音文字に関する正しい発音ルール〜

オバマ大統領は、日本人学生を相手にしたスピーチにおいて、最後に日本語で励まそうとしたものの、「ガン・バットュ・クダ・セイ」とおかしな言葉で締めくくりました。
なぜ、大統領は原稿をそう読んだのでしょうか?

なぜなら、英語には「母音文字に関する発音ルール」があるためです。つまり、「頑張ってくだい」を、ローマ字で書くとGan batte kuda saiですが、英語読みすると「ガン・バットュ・クダ・セイ」となるのです。実は、私達日本人も、「母音文字に関する発音ルール」を知るとで未知の英単語すらネイティブのように発音できるようになります大統領と同じようにGan batte kuda saiを「ガン・バットュ・クダ・セイ」と発音できるようにもなります。

母音文字 a、i、u、e、o を、ローマ字読みで発音する場合、単純にア、イ、ウ、エ、オとなります。ところが英語で発音する場合、それぞれの母音文字に対し3通りもの方法があります。

【母音文字に関する発音ルール
ルール1 母音文字の後が子音文字で終わる場合、母音文字を音読みで発音
     a、i、u、e、o を イア、イ、ウ、エ、アと発音

ルール2 母音文字の後に母音文字が続く場合、最初の母音文字を英字読みで発音
     (ただし、続く母音文字は発音しない)
                a、i、u、e、o を エイ、アイ、ユー、イー、オウと発音

ルール3 母音文字の後の子音にeが続く場合、最初の母音を英字読みで発音
     (ただし、子音に続くeは発音しない)
                a、i、u、e、o を エイ、アイ、ユー、イー、オウと発音(ルール2と同じ)

ルール4 独立した母音文字が二つある場合、強調しない母音文字はエとウの間の
     曖昧な音(schwa)で発音(小さい音で)
                a、i、u、e、o をいずれも、(エとウの間の曖昧なと発音


たったこれだけのことです。このルールを適用するだけで母音に関する発音の誤りが激減します。具体的な例を以下の表にしました。

【具体例】
    a i u e o
             
ルール1
音読み
gap till full sell bomb
発音 gap til ful sel bam
ギャップ ティ
             
ルール2
英字読み
gain tie fuel sea boast
発音 gein tai fyul sii boust
ゲイン タイ フィュ シー ボウst
             
ルール3
英字読み
gate tile cure gene vote
発音 geit tail kyur giin vout
ゲイt タイ キュr ジーン ヴォウt
             
ルール4
曖昧読み
adopt deficit umbrella select connect
発音 u'dapt 'defusit um'brelu su'lekt ku'nekt
ウ'ダpt 'デシt m'ブレ ス'レkt ク'ネkt
                                                             ※ ' の後の音を強調

上記のルールは、英単語の発音に関し、100%当てはまるものではありませんが、根幹をなすものです。多くのアジア人は、この発音ルールを身に付けることで、英会話において母音文字をローマ字読みから脱却しより正しい音で発せるようになります。また、知らない単語が出てきても、よりネイティブに近い読みができるようになります。
(おしまい)


2014年4月12日土曜日

交易条件の低下について 〜交易条件の推移から見る、貿易立国、輸出立国の真実〜

輸出ドライブにより国内経済を牽引できると考える経済学者や経済評論家にとって、「交易条件」(貿易取引における条件)はとても大きな関心ごとです。昨今の日本経済低迷の原因を「交易条件」の悪化で説明する評論家もいます。今回は、日本の「交易条件」の推移について世界銀行のデータを基に算出し考察しました。

◯「交易条件」とは
実質賃金と交易条件の悪化に関するメモ」によると、「交易条件」とはどれだけ有利に貿易を行えているかを示す指標であり、「GDPデフレータと消費者物価の比の変化」を見ることで「交易条件の変化」も見ることができるとのことです。なぜなら、GDPデフレーターおよび消費者物はいずれも国内の物価指数ではあるものの、前者は輸出物価を含めて(輸入物価は含めず)、後者は輸入物価を含めて(輸出物価は含めず)算出することから、両物価指数の比の変化が輸出入物価の比の変化に比例すると考えられるからです。

◯GDPデフレーターおよび消費者物価指数の推移
そこで、GDPデフレーター(GDP deflator)および消費者物価指数(Consumer Price Index)の両データをグラフにしてみました。なお両指数データに対し1994年が100となるよう調整を加えました。興味深いことに、1994年まで両指数とも上昇したものの、1995年以降GDPデフレーターは低下している一方で消費者物価指数はあまり変化していません。
このことから、1995年以降、輸出価格は低下するなかで輸入価格は高止まりしていたことが分かります。つまり、一見、貿易の条件が悪化したように見えます。(注意。1994年で線が交差していますが、物価が逆転したということではありません。)



◯GDPデフレーター(輸出物価)と消費者物価指数(輸入物価)の比
つぎに、輸入物価と輸出物価の比を見るため、消費者物価指数に対するGDPデフレーターの「比」の推移をグラフにしました。グラフを見ると、比が1973年以降一貫して低下しています。つまり、輸出物価は輸入物価に対し相対的に1973年から下落し続けているということを見てとれます。交易条件を悪化させる原因が1973年に発生したとと考えられそうです。これは、上記のグラフからだけでは分からなかったことです。


◯日本で1973年に何があったか?
1973年日本は、外国為替における交換レートをそれまでの固定相場制度から変動相場制度に移行しました。以来、日本の為替レートは、政府ではなく市場で決まるようになりました。

◯結論
つまり、「GDPデフレータと消費者物価の比の変化」に着目するとこで「交易条件の変化」も見る事ができるとするならば、1973年日本は為替変動制への移行により交易条件を悪化させることを選択し輸出立国であることを捨てたと言えます。
また、今回の調査は、以前に投稿した輸出ドライブに対する否定的な考え方「日本が輸出で経済成長できない理由」を裏付ける結果になりました。
(おしまい)

世界銀行 
http://www.worldbank.org

GDPデフレーター(GDP deflator)とは
ある国(または地域)の名目国内総生産(GDP)から実質GDPを算出するために用いられる物価指数である。(ウィキベディアより)

消費者物価指数(Consumer Price Index)とは
消費者が実際に購入する段階での、商品の小売価格(物価)の変動を表す指数。(ウィキベディアより)










2014年4月5日土曜日

外務省の役割 〜なぜ日本の外交は機能しないのか、グローバル化した今こそ外務省を廃止すべき〜

日本のちぐはぐな外交に疑問を感じます。そもそも「外務省」という組織は必要でしょうか? 

「外務省設置法」を見ると、第三条で外務省の任務を規定しています。
第三条 外務省は、平和で安全な国際社会の維持に寄与するとともに主体的かつ積極的な取組を通じて良好な国際環境の整備を図ること並びに調和ある対外関係を維持し発展させつつ、国際社会における日本国及び日本国民の利益の増進を図ることを任務とする。

経済がグローバル化した今日、国防、諜報、金融、エネルギー、通商、工業、農業、医療、いづれの分野においても外国との交渉は欠かせません。つまり、「国際社会における日本国及び日本国民の利益の増進を図ること」は、全ての国家公務員に与えられた任務のはずです。外交は、外交の専門家が担うべき事ではなく、それぞれの分野における専門家が国内政策と合わせて担うべき事です。

そう考えると、今や外務省の役割は、入出国管理とODAぐらいしかありません。むしろ、外務省の存在は、各省庁が担うべき対外交渉の役割を曖昧にし、日本の外交能力の低下を招いてしまいます。このままでは、第三条の精神を全うできません

外交機能を内閣府指導のもと各省庁に分散させるべきです。また、大使館も、内閣府直属の組織にすべきです。

経済がグローバル化した今こそ、外務省を廃止すべきと言えます。
 (おしまい)




外務省ホームページ
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/

2014年3月22日土曜日

経済成長期においては、貿易収支が赤字になる 

日本の経済が貿易黒字によって成り立っていると考える経済論者は、昨今の貿易赤字を問題視しています。しかし、貿易統計を見ると、高度経済成長期においては貿易赤字失われた20年こそ貿易黒字だったことが分かります。もし貿易収支が日本の経済に影響すると考えるなら、貿易赤字こそが日本の経済成長にとって「善」ということになります。
実際のところは、国内経済が拡大することで、国内消費の拡大とともに輸入も拡大し、結果として貿易収支も赤字になると考える方が自然です。貿易黒字はその逆です。つまり、貿易収支とは国内経済の結果を反映したものであると言えます。

(おしまい)




2014年3月16日日曜日

国内問題こそ海外メディアに聞け 〜報道の問題〜

多くの人は、国内メディアで国内問題を、海外メディアで海外問題を、それぞれ知ることができると考えています。ところが現実は逆で、長期的な真の国内問題に関しては、海外メディアを通じて知ることが多いのです。それは、なぜでしょうか?海外メディアを当てにして良いのでしょうか?

私達は、事故など突発的な物珍しい問題について気づくものの、日常化した問題については慣れてしまい比較対象が無いことから関心を示すことができません。例えば、私たちは、私たちの人権が政府によっていかに侵害されているか、など考えたいとも思いません。

ソフトバンク孫社長は、下記リンクのビデオの中で、「北京に住んでいる中国人は、公害に慣れてしまい、空がいかに青いかを知らない。同様に、アメリカ人はアメリカの移動体通信がいかにひどいか知らない。」と言っています。この言葉は、国内問題に関して国民が認知できないことを見事に言い表していると思います。つまり、私たちは、国内における長期的な真の問題を、他国との比較においてのみ知ることができ、国内にだけ目を向けていては気づくことすらできないのです。

報道は、利益をあげるため、私たちが求めない案件を扱えません。その様ななか、私たちが慣れきったことに関心を示めさないことから、常態化した真の国内問題ではなく、事故など突発的な物珍しい問題しか取り扱うことができないのです。

長期的な真の国内問題に関して知りたければ、日本にいてこそ中国の人権問題や公害問題を認識できるのと同様、海外メディアを通じてこそ知ることができると言えます。その証拠に、原発事故の問題の深さを真っ先に報道したのは外国メディアでした。私達は国内問題に関し、海外メディアからの批判を内政干渉とせず謙虚に受け止めるべきです。
(おしまい)


(参照)

Sprint Chief: U.S. Internet Speeds Are “Horrible” 

— Even Sprint’s. I Can Fix That. (Video)

http://recode.net/2014/03/12/sprint-chief-says-u-s-internet-speeds-are-awful-even-sprints-but-he-can-fix-that/




2014年2月10日月曜日

少子化の原因

2月10日のNHKのクローズアップ現代によると、出生率低下の原因として、「所得の減少や育児環境が整っていないことが上げられている」とのことでした。しかし、事実は異なっています。

世界銀行のデータをもとに、日本、中国、インドを対象に出生率の推移を調べグラフにしました。グラフを見て分かることは、いずれの国においても、出生率は国の成長とともに低下しているということです。つまり、収入の増加とともに低下したと言えます。日本を見ると、高度成長期のころから既に出生率の低下が始まっていました。




出生率が低下した真の理由は、裕福になり「子供を必要としなくなったから」と言えます。(おしまい)

(参考)
データを見て分かる「真の矢」〜常識を覆す「少子化対策」とは
http://kazukat.blogspot.jp/2013/07/blog-post.html


ps.NHKは、出生率が低下する原因を証跡を提示することなく「所得の減少や育児環境が整っていないこと」と報じました。何かの意図があったものと考えています。

2014年2月1日土曜日

私達は本当に奴隷制度を否定しているのか? 〜現代の奴隷とは 問題の本質とは〜

私は、私達が本当に奴隷制度を否定しているのか、時々、疑問に思います。なぜなら、働かずして所得を得られる理由は、働くも所得を得られない人がいるからこそでは?と疑問に思うからです。

ポーカーでは、「チップを得る人」がいる側で「チップを失う人」がいます。同様に私達の経済でも、「金利を受け取る人」がいる側で「金利を払う人」がいます。ポーカーのチップは片付ければ何の意味を持ちませんが、「金利」には深い意味があります。

◯「金利」が持つ本質的な意味とは
「金利」とは:資金の貸借の対価あるいは貸借される資金の使用料のこと。(kotobankより)
このことは、貸し手や借り手から見て、何を意味しているのでしょうか?
金利とは、貸し手から見ると働かずして得る所得のことです。逆に、借り手から見ると所得にならない労働のことです。金利によって、働かずして所得を得る人を生む一方で、働くも所得を得られない人を生むことになります。つまり金利とは、貸し手から見て不労所得であり、借り手から見て手数料とはいえ返済するために搾取された労働の一種です。そのことは、暗黙のうちに定めている現代の奴隷制度といえます。

◯年金制度とは
私達の年金制度などは、預け入れた元本以上の受け取りを期待することから、金利が付くことを前提に設計されています。つまり、私達は、配当や金利などにより「不労所得」を求めています。私達は、年金を増やしたいと考えているなかで暗黙のうちに奴隷を求めていることになります。

私は、私達が本当に奴隷制度を否定しているのか、時々、疑問に感じるのです。
(おしまい)

ps.ケビン・ベールズによると現代の奴隷制度の総賃金は、アメリカのポテトチップス消費額と同じとのことです。

ケビン・ベールズ:現代の奴隷制度といかに戦うか

2014年1月19日日曜日

生産性を上げても経済成長できない理由

報道などを見ていると、経済論者の多くは、経済規模が拡大しないなか、生産性を向上することで「国民1人あたりの所得」の伸展が可能と考えているようです。それは、少子化による人口減少が明白な現状において、尤もらしい意見です。ところが、私達は、生産性の劇的な向上により食料を10倍得たとしても食べきれそうにもありません。はたして、私たちは、本当に生産性の向上により所得を伸展させることが可能でしょうか?



国内総生産に関する基本的な原則
マクロ経済学の教科書では、経済規模である国内総生産(以下GDP)に関し、「三面等価の原則」により以下の等式が成り立つとしています。

 【三面等価の原則】

 生産面のGDP = 支出面のGDP = 分配(所得)面のGDP

つまり、経済規模は、人々の作る物やサービスによる生産、人々の購入にともなう支出、人々に分配される所得、いづれの面から見ても金額が同じだということです。そのことは、お金を支払う人がいるからこそ物やサービスが生産され利益を分配できると考えられることからも、容易に理解できます。




◯「国民1人あたりの所得」の伸展とは何か?
ところで、上記の式を人口で割ると以下のようになります。

 1人あたりの生産 = 1人あたりの支出 = 1人あたりの分配(所得)


式を見て分かることは、「国民1人あたりの所得」」は「国民1人あたりの支出」によって裏付けられていることです。見方を変えれば、「国民1人あたりの所得」を伸展させることは、「国民1人あたりの支出」を拡大させるということです。つまり、国民全員が支出を抑えつつも所得を増やすことは不可能なことです。また、ロボット化などにより数量ベースでの生産性を上げたとしても、支出が増えない限り、物の単価を下げるだけであり所得は増えないということです。




政治家は、国民の「所得を増やします」と言っていますが、裏を返せば国民の「支出を拡大します」と言っているのです。国民所得は、支出を拡大することで増えるのです。人口増加が止まり支出も拡大しない状況において、生産性を向上することで国民1人あたりの所得の伸展させるとの考え方は、間違っています。

(おしまい)