2013年7月14日日曜日

インターネット選挙解禁の今、「街頭演説」に意味があるのか?

 インターネット選挙が解禁となった今、ブログ、ツイッター、Facebook、動画などから、各候補者の考え方を効率良く知ることができます。各政党の政策比較も容易になりました。そんな中、候補者による「街頭演説」は、私達にとってどのような意味があるのでしょうか?足を運んで見るほどの価値があるのでしょうか?
 私は、「街頭演説」である候補者の嫌な面を目の当たりにし、「街頭演説」を見ることの重要性を改めて発見しました。

 言葉は、都合の良いものだけを羅列できるため、必ずしも人の本心を表現していません。一方で行動は、考え方を反映した結果です。人の本心は、「行動」から見て取れます。そのため私達は、人の表情や仕草などを見て、直感的に人の善し悪しを判断しすることができます。

 私の見たある候補者は、演説開始直後、スピーカからもの凄い音が出たため、集まった大勢の聴衆に上手く語ることができませんでした。そこで、聴衆の前で裏方のスタッフに対し「おいしっかりしろ!」と何度も大声で怒鳴り散らしはじめました。しかし、そのもの凄い音は、明らかに、候補者が自分のマイクをスピーカに向けたまま話し始めたことによるハウリングでした。ハウリングとは、スピーカから出た音をマイクが拾い増幅しづづけてしまう現象です。私は、その候補者が自らの「無知」に起因する問題で支えるスタッフを罵倒したことに、唖然としました。日頃から高飛車な発言をする方でしたが、テレビやインターネットを見る限りこれほどの嫌悪を感じた事はありませんでした。その場にいた他の聴衆も同様に受け止めていたと思います。

 インターネットに公開された情報を、私達は何度も読み返し深堀し比較することができます。ところが候補者も都合よく悪態をカットしたり失言を訂正できます。また、コンピュータ技術の発達により、写真や動画に映し出る表情、声、仕草を変えることさえできます。つまりインターネットに公開された情報は、私達にとって便利であるものの、私達の知りたい「真の情報」でない可能性があります。

 街頭演説により、私達は候補者本人の良い面も悪い面も丸裸な状態で直接見ることができます。今、インターネット選挙が解禁されたからこそ、街頭演説の価値も増したと言えます。

(おしまい)

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