2012年9月9日日曜日

「行政の中立」とは方便・奇弁


報道番組を見ていると、「行政の中立性」を前提視することがままあります。行政が中立であることは、教育の場でも当たり前のように語られています。
しかし、ここで疑問が出てきます。中立とはなんでしょうか?誰が行政に対し中立を求めているのでしょうか?憲法に中立を定める条文があるのでしょうか?行政は、本当に中立なのでしょうか?本当に中立である必要があるのでしょうか?
私は、民主主義国家において「行政の中立」などあってはならない、と考えています。

◎そもそも中立とは何か?
中立(ちゅうりつ、Neutrality)とは、偏りが無い状態。対立が存在する際に、そのどちらにも与しない第三者の立場のことである。(ウィキペディア)
つまり対立が存在した場合、どちらの見方にもつかず、第三の立場をとるということです。

◎憲法では何を定めているのか?
憲法は、基本的人権や戦争放棄および国会・内閣・最高裁の分担を定めたものです。
憲法15条の1文目を見ると、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と明記されています。つまり、選挙によって選ばれた私たちの代表が人事院や「官」を罷免し選定しなおすことは、憲法に定められた国民の基本的な権利です。また、同2文目を見ると、公務員は「全体の奉仕者」としています。しかし、「中立であれ」とは記載されていません。つまり、憲法では、公務員に対し、何かの対立を前提に第三の立場をとることまでは求めていません。

◎大事なことは何か?
ここでよく考えてみると、政策を実現することは、一部の人に利益を供与し、その原資のため、他の人に負担を求めることです。例えば、老人を介護することは働き手に奉仕を強要します。つまり、公務員は、全体の奉仕者としても、国民全員に利益を提供する事はできません。つまり、政策決定過程において、多数決により国民の同意を得ながら進めるしかないことが分かります。
つまり、民主主義において大事な事は、公務員が政策決定や実行において選挙の結果に従うよう、統治の仕組みを担保することです。

◎誰が中立を主張しているのか?
ところが、人事院のホームページを見ると、「公務員は、憲法により『全体の奉仕者』であり、職務の遂行にあたっては中立・公正が求められる」としています。
また、そのため、中立・第三機関をとらなけらばならないとしています。
つまり、中立を主張しているのは「官」です。

◎人事院が主張する中立とは何か?
人事院は何に対して中立で第三の立場であるべきと主張しているのでしょうか?それは、政治的対立です。政治的対立とは、輸出産業を優先するのか国内農家を優先するのかといった、私たち国民の代表同士の意見相違です。つまり、国民の意思であり選択です。ところが人事院は、そのような対立、つまり国民の意思や選択に対して、離れた第三の立場を取るとしているのです。これでは、「官」の理屈で政策を実行でき、国民の選択を担保できません。つまり、民主主義に相反する考え方です。
人事院の主張する中立・公正とは、東洋における伝統的な「官」による支配を復活するための、したたかな方便なのです。

つまり、「行政の中立」とは、国民の「官」を選択・罷免する権利を反故にし、民主主義を踏みにじる考え方なのです。

(おわり)

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