2011年11月27日日曜日

社会保障の切り下げは自明の理

各政党は年金の財源問題に関して、解決案を提示していますが、本質について何も触れていません。

○年金事業における本質的な問題とは何か?
年金制度を持続させるためには、保険料による「総収入」と年金による「総支出」を均衡させる必要があります。年金事業は、簡略化すると以下の式で表すことができます。

年金保険料の総額(総収入) =  年金額の総額(総支出)
つまり、
1人あたりの年間保険料 × 現役世代の人数 = 1人あたりの年金年額 × 退職世代の人数

毎年、200万人以上が、現役世代(左辺)から退職世代(右辺)に移動しています。1人100万円として計算すると、年間で、2兆円が左辺から右辺に移動し、合わせて4兆円もの不均衡が新たに生じることになります。しかしながら、デフレの進行、非正規雇用の拡大、一人当たりの労働収入低下等が進み、左辺の「1人当たりの年間保険料」を上げる事には限界があります。

つまり、右辺の退職世代人数が増えている中、「1人あたりの年金年額」を維持することすら物理的に不可能な状況です。


○各政党の考え
与党案は、受給開始年齢を引き上げ左辺から右辺への移動者を減らすというものですが、永遠に繰り返す必要があり根本解決できません。民主党や自民党は国民年金と厚生年金を一体にすると言っていますが、上記式とは全く関係のないことで解決には何ら寄与しません。みんなの党は「成長戦略」などと言っていますが、優秀な経営者をもってしてもたかが1企業を成長させることすら難しい中、日本全体を成長させることなど見通しの甘い考えです。


○どうすれば良いのか?
つまるところ、得られた総収入を退職世代で分け合うしかありません。つまり、「一人当たりの年金年額を引き下げる」ことです。もしくは、毎年、200万人が右辺に移動する分、右辺の200万人に消えてもらう事、つまり「『人生』定年制度」でも始めることです。

年金の財源問題は待ったなしの状況ですが、その本質は「等式」という中学生にでも理解できるレベルの内容です。今の政治に求められていることは、国民にとって心地の良い言葉を発することではなく、問題解決に向けた具体策、つまり『社会保障の切り下げ』を国民に説得することです。

(おしまい)

2011年11月22日火曜日

「トップセールス」は税の浪費


最近、報道で「トップセールス」という言葉をよく耳にします。
国の代表、地方自治体の代表などが、国や地方の産物・産業を他国へ売り込むことです。
首相をトップとする政府は、民間企業との協力体制で、新幹線や原発など行政に近い産業で取り組んでいますが、今のところ成果を上げていないようです。

イ・ミョンバク大統領らによる韓国トップセールスの成功を見て「日本も」と思っている人は多いことでしょう。しかし、イ大統領は零細企業を韓国業界一に成長させた人。世界で最も優れたビジネスマンの一人であり、極めて優秀な経営者です。日本の首相や官僚とは筋が違います。

1990代、アメリカも「日米構造協議」という圧力型のトップセールスを日本に仕掛けました。しかし、その成果はほとんど無に等しい状況です。アメ車は日本で売れるどころか、本国で破綻。牛肉は、狂牛病でアメリカ産はお釈迦、オーストラリア産が売れる始末。アメリカの高官も大統領も「セールス」では全く役に立っていないのが実状です。コカコーラ、マクドナルド、ディズニー、マイクロソフト、インテル等、役人が介入していない分野の方が、遥かに業績が良いではありませんか。

ここで、よく考えていただきたい。日頃、偉そうに威張っている外務省の役人は、頭を下げることがありません。ジュースすら売った事のない彼らに、新幹線や原子力を売る事など、できるハズもありません。また、首相が頭を下げれば、売れるというものでもありません。

以上のことから分かるとおり、国が「トップセールス」で売り込むという発想は、机上の空論です。

外国の高官が日本政府の話しを聞いてくれるとしたら、それは見返りを求めているからです。
そんな「えせトップセール」を続けると、税金を浪費し、私達国民は高い代償を強いられることでしょう。

国は無駄な仕事、税の浪費をやめるべきです。

(おしまい)

2011年11月20日日曜日

「医師国家試験」を廃止せよ

多くの人は国に色々な役割を期待しています。しかし私は、国の仕事をもっと削減すべきと考えています。「医師国家試験」も例外ではありません。

○国策の腐敗構造
私達は、飲み会の後の「割勘」では直ぐに不正を指摘できるのに、「国家予算」ともなると全く指摘できません。飲み会の「割勘」は目の前で行われるのに対し、「国家予算」は遠いところで使われ見えづらいのです。そのため、国が政策を立案すると、政治家の賄賂、官僚による汚職、特定の企業や団体との癒着などを伴い、税金が政官産によって無駄に使われます。
私達の税金を正しく効率良く使うために、政策を私達により近い所で決定すべきです。そのためには、国の役割を最小化しなければなりません。

○例えば「医師免許」について
「医師国家試験」を行い「医師免許」を与えることは、国の重要な仕事の一つとされています。では「医師免許」とは何のためにあるのでしょうか?医療行為の品質を担保するためでしょうか?
ところが、国は各診療科の専門免許制度を設置しておらず、専門外の医療行為を認めています。また、私達は、30年も昔に「試験合格」しただけの医師を、信頼して良いのかも分かりません。「医師免許」だけではさほど品質担保されていないのが実情です。
私には国が重要な役割を担っているとは思えません。

○国の「医師免許」を廃止して問題はないのか?
国による免許制度がなくなれば、誰が「医師」というお墨付きを与えるのでしょうか?自由化された市場経済ではそのような心配は不要です。ニーズがある限り、そのニーズを満たす専門家は自然と生まれるからです。医学会が担っても良いし、民間の評価機関が行っても良いのです。医療事故が増えると考える方は多いと思いますが、私はむしろ減ると考えています。

「国家」は私達の期待に応えていません。税金を有効に活用するためには、国の役割を最小化しなければならないと考えます。

(おしまい)



2011年11月17日木曜日

低予算で皆が「幸せ」になる方法

人にはそれぞれの「幸せ」があります。しかし、次の2つの状況は多くの人に共通する「幸せ」でしょう。

①自分や自分の置かれている状況が、以前より良い方向に改善している
②自分や自分の置かれている状況が、周囲の人より優越している

誰でも、生活の質が向上したり、お金が増えたり、手に入らなかった物を手にできれば、幸せを感じるでしょう。逆に今まで手にしていた物を失ったりすれば不幸に思うことでしょう。
また、周囲より優越していることを認識できれば、幸せを感じるでしょう。例えば、自分の給与が社内の同僚より高ければ、たとえ同業他社と比較し低くても、社内では評価されていると思い幸せに感じることでしょう。

ところが今日、日本の経済は縮小し賃金が下降している中で、多くの人は①を実感できる状況にはありません。

ではどうすれば、皆が「幸せ」を感じることができでしょうか?

②の状況を作れば良いのです。つまり、人々を階層化し自分より下位の層がいる事をハッキリと認識できる状況をつくることです。自分より下の人がいれば、人は優越感を得ることができ、幸せを感じることでしょう。実際、江戸時代は士農工商の下に「非人」や「穢多(えた)」の身分制度があり、社会は安定しました。

問題は最下層の人々の幸せを如何に実現するかがポイントとなります。そのためには、毎年の生活が実際に向上するよう税金で手当てをすればよいのです。その費用は、国民全体の生活を向上させるよりは大幅に節約できます。

これで国家予算を削減しつつも、皆が「幸せ」になれます。

(おしまい)